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ソクラテス Socrate

2016年5月21日

エリック・サティ生誕150年コンサートにて

メゾ・ソプラノ:星野恵里

ピアノ:半田規子

会場:滝野川会館大ホール

交響的ドラマ「ソクラテス」について

59歳で生涯を終えたエリック・サティ。 晩年にあたる54歳の頃に作曲された「ソクラテス」は、多数の作品を残したサティの作品の中で一番長い作品とされています。 サティがこの作品のために選んだテキストはプラトン著「対話編」。古代ギリシャの哲学者ソクラテスの生きた日々から、牢獄で絶命するまでを描いた声楽作品です。たくさんあるとされている「対話編」の中から、[饗宴][パイドロス][パイドン]より抜粋したもので、ヴィクトル・クーザンのフランス語訳を採用しています。

1920年の公的な室内オーケストラによる演奏会に先立って、1918年に私的な演奏会にてサティのピアノ伴奏で全曲初演されたと記録が残っています。 オーケストラ版での楽器構成は、フルート、オーボエ、イングリッシュホルン、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニ、ハープ、弦5部、歌手女声4人からなり、歌に関しては、それぞれのパートが重なることがないため、初演は一人の歌手によって歌唱されたとされています。

 

三つの楽章で構成されている「ソクラテス」。

第一楽章「ソクラテスの肖像」は[饗宴]からテキストを用いています。 その中からサティが取り入れたのは、ソクラテスの言葉ではなく、泥酔状態であとから乱入してきた美青年アルキビアデスの言葉。それも、アルキビアデスはソクラテスをシレノスに例え、サチュロスのマルシュアスに例えます。シレノスもサチュロスも両方ともギリシャ神話に出てくる半獣像で、笛を持った彫像で知られています。中でもマルシュアスは笛の名手とされていて、このテキストには書かれていないギリシャ神話ではアポロン神と技を競い合った結果、賭けに敗れて無残な死を遂げたとあります。

酔っ払って語るアルキビアデスはソクラテスを笛の名手であるマルシュアスに例えるものの、彼らの大きな違いを論じます。それは、マルシュアスは笛という楽器を通して美しい調べを奏でるのですが、ソクラテスは楽器はないのに言葉だけで同じことをするということ。ソクラテスの演説が今も昔も大きな影響を与え、サチュロスの笛のように自分だけでなく、多くの人に魔法をかけるのだと熱く語るのです。 それを聞いたソクラテスは初めてソクラテスは口を開きます。 「私への賞賛が終わったところで、私は隣の人を褒めましょうか…」 この第一楽章でのソクラテスの言葉はこの一言だけです。すべては笛のたとえで出されたギリシャ神話を語る酔っ払った美青年アルキビアデスの言葉ばかりですが、ソクラテスがどれだけ賞賛され尊敬されているかを伺い知ることができます。しかし、ソクラテスの最後の一言で、彼がどんな哲学者であったのか、その人となりを伺い知ることができるのではないでしょうか。

 

第二楽章「イリソス河のほとりで」は[パイドロス]から引用されています。

ソクラテスは[饗宴]から7年ほど経った60歳くらいとされています。 初夏のある日のこと、ソクラテスはパイドロスと散歩をし、どこかで腰を下ろそうと良い場所を探します。パイドロスは背の高いプラタナスを見つけ、ソクラテスにその木陰で休みましょうと提案します。他愛のない会話をかわすうちに、二人はプラタナスの樹に辿り着きます。木陰の美しさ、花の香りに感動し、ソクラテスはパイドロスに「これ以上ない私を素晴らしい場所に連れてきてくれたね。」と語りかけて終わりとなります。

第一楽章でも肝心のソクラテスの演説のテキストを採用しなかったように、第二楽章でもソクラテスの哲学に迫るような議論は出てきません。小説を読むように時間とともに景色が流れてゆきます。そこに表現されているのはありふれた会話であり、美しい景色や心地よい空気に感動するソクラテスの人としての温かさが鮮やかに描かれています。

 

第三楽章「ソクラテスの死」は[パイドン]からソクラテスの最期の日のことを回想するパイドンの言葉から始まります。

「ソクラテスが死刑判決を受けてからというもの、我々はただの1日も面会を欠かさなかった。」 この言葉をのせて音楽は始まります。

鎖を解かれたソクラテスは自分の置かれた状況についてこのように語ります。

「人が快楽と呼ぶものはおかしなものだね。それが苦しみと強く結びついているのだ。」

「心が体に支配されて囚われるのは、歓びと悲しみの時ではないか。」

そして、ソクラテスは語ります。

「私が置かれた状況を私は不幸とは思っていない。白鳥は死が迫ると最も美しい声で鳴く。それは、仕える神の元へ召されて喜んでいるのだ。」

快楽と苦しみは表裏一体で、その時は心も体も支配をされてしまう。自らは心からも体からも解放され神の元に帰るのだという落ち着きをもって弟子たちに接するのです。

最後の沐浴を済ませ、いつもと変わらぬ落ち着いた様子で毒杯を口にすると、居合わせた弟子たちは涙をおさえることができませんでした。ソクラテスの体は徐々に冷たくなり、体は痙攣してゆくと、最後、クリトンが彼のうつろに開いた目を閉じてあげました。

「我らが友人ソクラテスは、このようにして最期を迎えた…。どんな人よりも賢く、正しかったあの方の。」この言葉の後に曲は終わりとなります。

 

刑執行の時点でソクラテスは70歳。この作品では20年あまりをたどっていることになるのですが、テキストの取り上げ方はとても個性的でサティ独特の示唆に満ちているように思えてなりません。サティの表現したいことはソクラテスの哲学者としての素晴らしさや理不尽な逮捕の出来事などのありきたりの史実ではなく、ソクラテスとともに過ごしているような客観的なドラマなのではないでしょうか。 音楽も全編を通して激昂したり、激しく旋律を歌唱することもありません。それはソクラテスが賞賛されている時も、毒杯を飲み干す時も、死を迎えた時も変わることはありません。そこにあるのは、ソクラテスに対する特別な思いなのではなく、友として時には師としてソクラテスに共感するサティの思いなのではないでしょうか。 全編を通して客観的な姿勢を崩さないサティ「ソクラテス」。しかも、先に述べたようにサティの作品の中で一番長い作品とされていることからも、サティの強い思いの込められた作品であることは間違いないはずです。

メゾ・ソプラノ 星野恵里 Eri Hoshino

国立音楽大学声楽科卒業。同大学院独歌曲専攻修了。北西ドイツ・デトモルト音楽大学卒業。バッハのカンタータ・ヨハネ受難曲・マタイ受難曲・メサイア・レイクイエム(Mozart)等の宗教曲や第9・マーラー等のソリストを務める。オペラでは、「ポッペアの戴冠」で二期会デビュー後、「イエヌーファ」「ジュリアス・シーザー」「魔笛」等二期会公演に出演。また、兵庫県文化センター主催公演、佐渡裕指揮栗山昌良演出による「蝶々夫人」でスズキを演じ好評を博す。新国立中劇場にて、舞台日本初演となるシューマン作曲、オペラ「ゲノフェーファ」に出演。その他「カルメン」「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」「ヘンゼルとグレーテル」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「神々の黄昏」「ジャンニ・スキッキ」「チェネレントラ」「アルジェのイタリア女」等のオペラ等に出演。二期会会員。

ピアノ 半田規子 Noriko Handa

桐朋女子高等学校音楽科を経て桐朋学園大学ピアノ科を卒業。卒業演奏会に出演。同年声楽科伴奏研究員修了。ピアノを片山敬子氏、伴奏法を星野明子氏に師事。バス歌手岡村喬生氏のピアニストとしてモノオペラ「松とお秋」に出演、2011年第57回プッチーニ・フェスティバル上演のためのプロジェクト《新国際版マダマ・バタフライ》および2015年群響創立70周年記念「マダマ バタフライ凱旋公演」練習ピアニストの他、数多くの合唱団やソリストの伴奏者として活動している。

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