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猫のつぶやき
我が輩は黒猫である。名前はもうある。神話に出てくる冥府の王の名“プルート”である。
かのボードレールの訳によりフランスでもよく読まれた【Chat Noir(黒猫)】をご存知であろうか。エドガー・アラン・ポーの小説に登場しサティの活躍していた時代には人気だった。江戸川乱歩とは見当違いである。
画家であったサリがモンマルトルのアトリエをキャバレーとして店を開いた。キャバレーといっても当時は前衛的な芸術家が集う芸術酒場といえばご理解いただけるであろうか。そして、その名前を「シャ・ノアール」Le ChatNoir(黒猫)とつけおった。我が名はプルートだと言っておるのに。
悔しいかな、俳優や詩人、もちろん画家も集い、にぎわっておった。その輩は「支離滅裂な人々」と呼ばれ、建築家のエッフェル、詩人のヴェルレーヌ、ハイネ、小説家のゾラ、画家のピカソにロートレック、そして、作曲家のドビュッシー! 若き芸術家たちは店に集まっては芸術談義に花を咲かせた。そこにブルジョワジーとよばれるちょとした金持ちも集まり、「シャ・ノアール」を一躍パリ中に知らしめる事となった。笑いありウィットありの素晴らしい出し物に酔いしれ、華やかな衣装のパリジェンヌが歌うシャンソンもいかしていた。もう百年も前、ベル・エポックと呼ばれてパリが一番輝いていた古き良き時代だ。
毎週金曜日の午後は絵描きのリヴィエールらによって作られた影絵芝居Le Théâtre d’ombres が上演され、シルエットの色彩効果や生き生きとした動き、軽妙な口上や音楽が一体となって素晴らしいものだった。
まだ映画なんていう物が無かったから、たいそう人気があった。常連客だった若いサティもちょっとの間、ここで上演される影絵芝居のピアノを弾いて働いておった。
しかし、何年かの後サティは近くの店に移ってしまった。
理由は定かではないが店主のサリと喧嘩をしたらしい。
店の繁盛は続いた。だがいい事ばかりではなかった。人気が災いしてゴロツキどもが出入りするようになり、「シャ・ノアール」は移転する事になって元の店は吾輩もよくわからない。

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